出版したくて、自ら企画を売り込みをし、結果、出版することができた場合、求められるのは“結果”です。
当たり前ですね。
出版社も商売ですし、出版プロデューサーのような仲介者がいた場合でも、その人の信用を傷つけることになりますからね。
ただ、結果は求められますが、答えらるかは微妙です。
売れない場合は、何をやっても売れませんから…(爆)
そんな時は、“仕方ない”と諦めるしかありません。
そもそも、出版社も仲介者も結果を期待して出版に踏み切る以上、その判断の過ちを著者側に全て押し付けるのも酷な話しです。
現状のポテンシャルや期待値なども含めて決済しているのですから、読み違えた責任、騙された責任のようなものがあってしかるべきだと思います。
だから、“結果”は求められますが、出た結果が全てです。
売れようが、売れていなかろうが、それを受け入れるしかありません。
よく、「頑張りました!」とアピールされる著者さんがいらっしゃいますが、出版は学生の部活ではありません。
出版といえども、ビジネスです。
そこに“頑張り”とか、“努力”とかは、どうでもいいですよね。
この方 は、本を売るということをもの凄い頑張っています。
でも、別に頑張りを評価しているのではありません。
頑張って結果を出されたから、評価されるんです。
では、“頑張り”や“努力”ではなく、“結果”は求めるが、出た“結果”は受け入れるというなら、何が必要なのでしょうか?
それは著者としての“姿勢”です。
本が出た時に、どれだけ頑張ったかではなく、どれだけの覚悟をもって挑んだかです。
出版社のため、仲介者のために、どれだけ腹を括って挑んだかです。
出版社や仲介者に「ここまでやってダメなら、残念だけど仕方ないよね」と言わせるだけの“姿勢”です。
私は、著者としての“姿勢”に熱いものを感じなければ、その著者の本がどんなに売れようと、二度と一緒に仕事をしないと決めています。
だって、出版を決めるまで苦労や本を作り上げる過程での苦労を考えたら、著者としての“姿勢”に熱いものがないのであれば、正直、「なめられてるのか?」と思いますからね。
厳しいことを書きましたが、そもそも出版って、そんなに簡単にできることではありませんよ。
そこに信頼関係を築けたから、我々も近道を案内できるんです。
なのに、そこに著者としての“姿勢”に熱いものがないというのであれば、その信頼関係を蔑ろにしているようなものですから。